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2007.04.18
 銃を用いた事件が起こるたび、銃を取り扱うものとして胸が痛みます。

 銃の規制に関する議論は、このような事件の度に当然のように巻き起こり、しばらくすると申し合わせたようにまた「ともかく問題提起はした」とまるでメンツを保つのが目的だったかのように収まっていきます。今回のような「史上最悪の被害者数」や「選挙戦最中の候補者の射殺」などというセンセーショナルな事件とあってはいつもよりも長く関心がもたれるでしょうが、その議論によって問題解決に至るとは到底思えません。

 なぜか?

 それはこれが銃の問題ではないからです。

 確かにいずれの事件でも人を殺傷するために銃が使われています。銃、特に短銃は容易に隠すことができるという点で、確かに危険な道具ではあるのですが、例えば今回の容疑者は、銃がなければ犯行に及ばなかったと誰が言えるのでしょうか。その気になれば、ホームセンターには人を殺めることができる道具が何の規制もなしに(なくはないのですが)普通に販売されていますし、誰もが普通に運転する自動車だって、走行する場所によっては大量殺戮兵器です。銃は(入手はともかく)手軽で強力だというだけの話で、たとえば長崎のケースでは銃がなかったとしても別の道具で、目的を達したはずです。バージニアも、銃がなかったら、車なり、他の道具なりで同じ事をしていたに違いないと思うのです。銃の使用は手段であって目的ではない。目的を達成しようとする者は、必要とあればいくらでも代替的手段を用いるでしょう。

 それなのに我々は銃が問題であるか否かという議論をしている。それに気を取られるあまり、問題解決の本質の部分にまで人類の英知が及んでいないのだ、と思うのです。

 この問題は何千年かけても解決していない、非常に困難な、いわば人類が一生かけて取り組むべきライフワークなのかもしれません。今まで存在した全ての人が解決できていない問題に、現在の我々、将来の我々はしかしなお、取り組んでいかねばならないのです。

 想像もつかないほど困難だからといって諦めるというのは、我々ではない別の何か邪悪なものが選ぶ選択肢です。

 我々はその道を選んではならない。